高校卒業後、看護師の資格を取るために専門学校に行きましたが、様々な理由から3年生の学校のところを2年で自主退学しました。その後家を飛び出るようにして静岡県に引っ越し就職、そこで約10年過ごしました。その10年の間に様々な人と出会うことができ、いつのまにが自分がたくましく日々生きていることがうれしく思えるようになりました。
決して、何も悩みがなかったわけではないですが、生きるということに前向きになりました。困りごとでさえ、生きているからこそ味わえるんだと前向きにとらえることができるくらい自分でもびっくりするほどたくましく生きる力がつきました。
その時に人は生きていくうえで、様々な人との出会いや経験そして学ぶことが生きる力につながり、とても大切だという事を知りました。
その職場でであった今の主人と30歳過ぎに結婚しました。結婚後間もなく主人が統合失調症を発症した関係で平成14年ごろ、今の愛媛に来ました。静岡で生活が破綻してのことです。さすがにこの時はかなり、人生最大に困りました。
経済的にも、困窮し、かなり身内にも迷惑を掛けました。心理的にも追い詰められ悩み、行政含め様々な関係機関にも相談に行きました。けれど、納得のいく相談対応はあまりなく、その時初めて職場の人から紹介された今現在主人がお世話になっている病院のソーシャルワーカー(PSW)の方と出会いました。
もともと、周囲に納得のいく説明や助言をして下さる相談員に巡り合えないのなら自分が精神保健福祉士と社会福祉士の資格を取って、自力でこの困難を乗り越えようと勉強を始めてもいました。黒木40歳にもなってからの遅いスタートです。
同時に生活を支えるために、ヘルパーの資格もとり、ヘルパーとして主に精神障がい者の方の生活支援のお仕事も始めました。
仕事を通じ、学業を通じ、専門的な相談もできるようになりたい、ソーシャルワーカーとの出会いでさらにその職業へのあこがれも高まり、目標になりました。
晴れて資格取得できましたが、私の年齢がいっている割に実務経験がなかったり、当時まだ、家庭も落ち着かず、子供も小学生だったこともあり、思うように就職が決まらず、パートを掛け持ちする日々でした。…というか今現在もそうです。でも、それはそれでいろんな経験や出会いを体験でき良いと思っています。
本当に様々な人の助けがあって、様々な人とのつながりがあって、今の私の人生が成り立っています。だからこそ、今度は、私が抱えている課題を乗り越えられるつながりがなくて困っている人の生きていくためのつながりや生きていくために必要な「居場所」を創るお手伝いができたら最高だと思ってこの活動を行っています。
もちろん、私一人ではできません。過去も今現在も大勢の人の助けがあっての活動でもあります。
今回法人格をとれたのも大勢の方の応援、ご協力があってのことです。本当に感謝しかありません。
何とか相談支援事業所の指定をとり、今度はたくさん皆さんに恩返しがしたいと願っています。
子どもからお年寄りまで、だれでも立ち寄れる場所でありたい。そして、人生が追い詰められる前にさりげなく関われ生きていく力が取り戻せる居場所、必要であれば関係機関にもおつなぎできる専門性を兼ね備えた居場所を目指して今日も活動しています。
きっと何かのお役に立てるのではと信じて・・・